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朝鮮式の濃厚な歓迎

チェホフは三ヵ月かけてシベリアを横断したのだが、その道筋は一八七八(明治十二)年の榎本武揚のそれとアムール川まではおなじである。以後は水行してニコライエフスクに出た。サハリンに三ヵ月滞在したのち、念願だった日本旅行を当時極東に大流行していたコレラのためにあきらめ、出発から八ヵ月後にモスクワに帰った。西海岸チェホフ(野田)にいまも彼の名はとどまっている。日本領になった真岡は、小樽からの定期船就航地、漁業基地として発展し、一九一九(大正八)年、樺太工業の工場がつくられると製紙の町として知られた。この工場は樺太の他の八工場とともに一九三三(昭和八)年、王子製紙に合併されたのだが、驚くべきことに現在も操業している。低い曇り空にゆらゆら白煙を吐くその姿はあまりにも時代がかりすぎていて、いまや前衛芸術のオブジェのような奇怪な美しさをかもし出している。

ショーイチの家はホルムスクの高台、日本時代には台町と呼ばれたあたりにあるありふれたアパートである。声をかけると流暢な日本語を話す中年男が出てきた。家を間違えたかと思ったが、話は通じている。居間にはロシア語と朝鮮語を解する東洋人の女性がいた。白人女性もいた。そして、最初に出てきた中年男は日本語しかわからないのだった。わたしたちは混乱した。いったいどういう家なのだろう。ショーイチはおなじ建物の別の区画に住んでいて、やがて前日の清掃員姿とは似つかぬこざっぱりした姿で現れた。しばらく話すうちに少しずつ家族構成がわかった。ショーイテの母は日本人である。戦中に朝鮮人と結婚し、家族は全員引き揚げたが彼女は残った。残らざるを得なかった。最初にわたしたちを迎えた中年男は日本人で、北海道から先日訪ねてきた彼女の弟だった。八〇年代なかば日本のテレビが取材に入ったとき画面のなかに樺太で別れた姉を見つけ、苦心して連絡をとったのである。

戦後間もなくショーイチが生まれた。ロシア語と朝鮮語しか話方ない女性は彼の妹である。ほかの兄弟はザバイカル地方に住んでいる。朝鮮人の夫はだいぶせんに亡くなった。ショーイチは長じてロシア人と結婚した。白人女性は彼の妻である。すでに彼は朝鮮人とのハーフである。彼の娘にはさらに複雑な血が流れることになった。わたしたちはこのユーラシアン家族の家で、おもに日本語で話し、朝鮮式の濃厚な歓迎を受けたのだった。ショーイチの姓名を漢字でかけば南正一、朝鮮読みなら、ナム・ジョンイルである。しかしそれが本名とは必ずしもいえない。日本漢字音読や日本訓読をそのまま、労働履歴、賞罰などを細大もらさず記録する労働手帳や身分証明書に書きこんだひとは、それが本名として扱われることになる。ユジノサハリンスク教育大学教授で、フョードロフーサハリン州知事の「政敵」として知られるボク教授も朝鮮族だが、「ボク」という日本音が本名である。ワソア名のボク・ミハエルウィチ、朝鮮語音名の「パク・スホ」はあるが「朴寿鎬」を正式名としている。八八年には五十年ぶりに訪韓したときパクースホ氏と呼ばれ、むしろとまどったという。

サハリンには約三万五千の朝鮮族が住んでいる。ショーイチの母のような境遇の日本人は約二百人である。サハリン在住朝鮮族は三種類にわかれる。第一は日本時代に「募集」に応じたり、「徴用」すなわち強制連行で樺太のおもに炭鉱に労働力として投入された南部朝鮮の出身者のグループ、第二は四七年から四九年にかけて、北朝鮮によって「労働力輸出」された「派遣労務者」とその子孫である。最後は、十九世紀末からロシア沿海地方に居住し、スターリン時代には中央アジアに強制移住させられて戦後サハリンに送りこまれたグループである。最後のグループはほとんど大陸に帰ってしまったが、「派遣」組はかなりの数がサハリンにとどまった。彼らは、六〇年代けじめの「帰国運動」にもさして積極的には反応せず、一度は帰国した青年たちも命懸けでソ連領に再越境してきたものが少なくはなかった。

現在ではそのスターリニズム体制に失望するあまり、元来の出身地のいかんにかかわらず北朝鮮との関係はまったく断たれている。ユジノサハリンスク郊外で偶然会った派遣組の老人は当初は相当に警戒的だったが、朝鮮語が通じるとなるとにわかに軟化し、写真を撮らせて欲しいと申し出たら、わざわざ新しいジャンパーに着替えて現れた。そして「南朝鮮製だよ」とわたしたちに盛んに自慢するのだった。「募集」「徴用」でサハリンにわたり、戦後は日本に置き去りにされた朝鮮族の国籍もやはり大きくふたつに分けられる。それは、「ソ連籍」と「無国籍」である。無国籍選択者は制度上の多大な不利をしのんでもあくまで自分の出身地、すなわち韓国への帰国の可能性を高めるためにあえてそうしたのだった。

他者性抜きの他者

議論から推定できることは「不可能性の時代にあっては、他者との極度に直接的な関係への志向が、他者との極限的に直接的なコミュニケーションへの欲望がせり出し、次第にその力を強めている」ということである。他者との直接的な関係とは、言い換えれば、他者たる限りでの他者との遭遇を意味する。少しばかり説明が必要だろう。われわれは、一般には、むしろ他者とは間接的にしか出会うことはない。すなわち、他者は、規範化された意味の秩序の中で、常に何者かとして同定されている限りで、すなわち象徴秩序の中で割り振られた特定の規定性を帯びた者としてのみ、私とその私もまた同じ秩序の中で同定されているのだが、対峙し、私と関係することができる。逆に他者との直接的な関係、身体的な接触を極限に持つような直接的な関係とは、他者たる限りでの他者との関係、それ自体としての他者との関係、他者の他者性との関係でなくてはならない。他者としての他者とは、純粋な差異、私に帰属する宇宙の総体に対する差異、上位の同一性の中で決して相対化されることのない絶対的な差異のことである。

ここで、他者としての他者、他者がその他者性において現れているような状態を「他者」と表記しておこう。とすれば我々の現在は「他者」への欲望によって規定されていると、とりあえずは言っておくことができる。「他者」を前にして家族との関係すらも偶有的なものとして現れることになるのだと。とは言えしかし「他者」との関係ということそのものに、根本的な逆説が宿っているのだ。このことを寓意的に示す作品として、パトリック・ジュースキントの小説、2006年に映画化された「香水ある人殺しの物語」(文芸春秋、1988年)を解釈することができるだろう。これは悪臭漂う18世紀のパリを舞台にした物語である。主人公のグルヌイユは、全く臭いを持たない男なのだが、超人的に敏感な嗅覚を持っていた。あるとき彼は理想的な香りの少女に出会うのだが、誤って彼女を殺してしまう。そこで、彼は彼女の理想の香りを再現しようとする。すなわち彼は、25人の若い美女を次々と殺し、その皮膚の表面を引っかいて香りを抽出し、それらを混ぜ合わせることで理想の香水を作り上げたのである。

この香水こそ、女性の精髄であり、これを嗅いだ者は自制心を失い、性欲を掻き立てられ、性的な狂騒にのめり込んでいくことになる。カントは、嗅覚のことを「非社交的な感覚」と呼んでいる。視覚や聴覚であれば、我々は他者を意識してコントロールすることができる。他人から見えないように隠れたり、他人に聴こえないように声を潜めたりすることができるのだ。しかし、体臭は、自在に制御することはできず、周囲に拡散してしまう。他者を嫌いになる理由は、しばしば、その他者の臭いにある。他者の思想やイデオロギーに寛容になることができても、体臭に対して寛容になることは難しい。と同時に、我々が他者に魅かれ、また他者を欲望することになる真の原因も、しばしば、その他者の発する臭いにこそある。好きな人、抱きしめたい人、口づけしたい人は、芳香を発している。「香水」の主人公グルヌイユは、臭いを持たないため、他者たちの欲望の対象になることがない。この作品において、臭いは他者としての他者、すなわち「他者」性の象徴である。それは、当の「他者」自身にとってすら、他者性を帯びたものとして、すなわち、自身の身体に内在する性質でありながら、自在に制御しえないものとして、立ち現れている。その対象「臭い」は一方では、人をして、その「他者」を欲望させる原因、その「他者」へと人を惹きつける原因である。

もっとも我々は、このことを一般に意識せず、もっと他の原因を、例えばその人物の性格を愛し欲望する理由として挙げるだろう。つまり欲望を惹起する真の原因は、象徴秩序の網「言語的了解」によって隠蔽されるだろう。ともあれ臭いは、しばしば他者を欲望させる本当の原因である。だが他方では、その同じ対象が「他者」を拒絶させる原因「他者」を嫌悪させる原因ともなっている。つまり、一方では、我々は「他者」へと魅かれ「他者」を熱烈に欲望するが、他方では我々は「他者」に嫌悪を覚えており、それでもなお「他者」が我々に迫ってくるならば、嫌いな体臭を発して接近してくるならば、それを侵襲的なものと感ずるだろう。「他者」には、このような根本的な両義性がある。「オタク」という語を一般に普及させるきっかけとなったのは、1988年から89年にかけて起きた、Mによる連続幼女殺害事件である。詳論は避けるが、Mの殺人は、本人の証言から判断すると、常に同じパターンで起きる。まず、Mが幼女に偶然に出会う。すると彼はその子に、自分を投影する(「自分が自分であった」幸せだった幼い日の自分をその子に見る)。

つまり、幼女との関係の直接性を実感する。しばらくすると幼女が、突然Mの意に反する自己主張を始める。泣き出したり、帰りたいと言い出したりするのだ。幼女がその「他者」としての性格を露呈させたのだと言ってよかろう。その瞬間、幼女との「甘い世界」が暴力的に引き裂かれたのを感じて、Mはその幼女を殺してしまう。この事件と最もよく似ている、その後の事件は酒鬼薔薇聖斗の事件であろう。酒鬼薔薇は「顔」に執着した。彼は、あえて顔に正対した上で、子どもを殺している。顔とは、私がそれを見ているときに、それもまた私を見ていることを直観しうる対象のことである。要するに、顔とは「他者」が顕現する場である。我々は今や、「不可能性」とは何か、不可能な「現実X」とは何かを、推定しうるところにきた。「不可能性」とは「他者」のことではないか。人は「他者」を求めている。と同時に「他者」と関係することができず「他者」を恐れてもいる。求められると同時に、忌避もされているこの「他者」こそ「不可能性」の本態ではないだろうか。我々は、様々な「XX抜きのXX」の例を見ておいた。カフェイン抜きのコーヒーや、ノンアルコールのビールなど。「XX」の現実性を担保している、暴力的な本質を抜き去った、「XX」の超虚構化の産物である。こうした、「XX抜きのXX」の原型は「他者」抜きの「他者」他者性なしの「他者」ということになるのではあるまいか。「他者」が欲しい、ただし「他者」ではない限りで、というわけである。

臭度チェック - Yahoo!ヘルスケア

安心の消費者金融で比較。

日中防衛協調と沖縄米軍基地

最終的に、米軍は日本から追加の金をもらえずに出て行かざるを得ず、この場合はグアム移転の要員数が縮小され、米本上に戻る人数を増やすことで対応すると思われる。「政府や議会が一度決議するだけで米軍を出て行かせられる」という、日本人が「そんなことできるわけない」と思い込まされてきた世界の常識が、日本でも実行されることになる。米中逆転の事態の高まりを受け、日本が対米従属から脱する歴史的転換点となる出来事は、すでに静かに起きている。その出来事の一つは、2009年11月27日、訪日した中国の梁光烈国防部長と、日本の北潭俊美防衛大臣が会談し、海ヒ自衛隊と中国海軍による史上初の合同軍事演習(共同訓練)を行うことで合意した件である。この日中防衛相会談では、高官どうしの相互訪問を活発化することや、次官級の日中防衛当局問協議を毎年開催することなど、日中間の防衛協調を全体的に強化すると決定した。

日中の初の合同軍事演習は捜索・救難活動に関するものだ。防衛そのものの分野での演習ではないので、大した話ではないと見なされ、この件についての日本のマスコミ報道は小さかった。だが「捜索・救難活動」や「テロ対策」としての合同演習は、中国などが、ライバル諸国との敵対を緩和して協調関係に変質させるときに最初に行う常套的な軍事交流策の1つである。中国とロシアは、歴史的な敵対関係を緩和して「上海協力機構」の協調関係に転換した際、中露2国と中央アジア諸国も入れて、救難活動やテロ対策をテーマにした合同軍事演習を何度かやっている。中国とインド、インドとロシア、ロシアとイランなどの間でも、関係改善策として「救難」「海賊退治」をテーマに合同演習をやっている。

有力国どうしが敵対関係を解いて和解していくときには、軍艦の相互訪問から始まって、救難活動やテロ対策などの無難なテーマで合同軍事演習をやり、将軍や国防相の相互訪問、緊急連絡回線(ホットライン)の開設を進めるのが通常だ。米軍は、すでに国軍と相互訪問を展開している。日本と中国は、自民党政権の末期から軍艦の相互訪問をやったり、中国の災害救援に日本の自衛隊艦を派遣したりと、目立だない形で防衛協調を進めてきた。09年からの日中の軍事協調の強化は、それをさらに進めるものだ。鳩山政権への批判中傷に余念がない対米従属至上主義の人々による猛反発があっても不思議ではないのだが、「救難に関する共同訓練」は人したことではないと考えられたのか、騒ぎになっていない。しかし現実には、日本が中国と、軍どうしの合同演習や防衛交流を強めるほど、日本にとって中国は脅威ではなくなる。

もともと中国脅威論が日本で台頭したのは、1990年代末以降、外務省など日本の官僚機構が、権力の源泉である対米従属を維持するために、マスコミを通じて反中国的な世論を喚起したためだ。日本人の反中国感情は、官僚とマスコミに踊らされた結果といえる。マスコミは、日中国交正常化後の1980年代には、今とは逆に「日中友好」を喧伝し、当時の日本人は、今と比べると非常に親中国的だった。多くの人々は、マスコミを通してしか世界観を構築できないので、自ら気づかないうちに価値観を操作されている。

韓国では中央日報の社説が「日中が合同軍事訓練をするというのに、韓国はまだ日本とも中国とも、軍事交流は初歩的な水準にとどまっている。韓国にとって重要なのは、北東アジア軍事協力構図から疎外されない対策だ。日本や中国との軍事交流・協力を強化し、韓日中3ヵ国間の協力案を模索しなければならない」と書いた。日本、中国、米国、ロシアの4大国にはさまれて翻弄されてきた歴史を持つ小国である韓国の人の方が、日本人より敏感に、日本の変化に気づいている。日本にとって中国が脅威でなくなると、必要性が大幅に低下するものがある。それが、沖縄の米軍基地である。2005年の日米防衛協議で、沖縄の米軍基地は、従来からの朝鮮半島有事への備えだけでなく、台湾海峡有事(つまり中国の脅威)に備えるためにも必要だと宣言された。

日米韓中の綱引きにおける河野談話

道頓堀 風俗

米国の揺れの背後に米英の暗闘

中国には国内に大きな油田がないが、新セブン・シスターズには中国の国有石油会社が入っている。その理由は、中国がアフリカのスーダンやイランなど、世界各地で現地国の政府と組んで油田・ガス田の開発を手がけており、国外で多くのエネルギー利権を開拓しているためだ。日本もやる気さえあれば、中国と同様の戦略を採れたはずだが、日本は戦後一貫して対米従属の国家方針を堅持し、米国が握る石油利権を侵害したくないという意志が政府に強く、外国での独自の油田開発を嫌い、米英石油会社から石油を買う方を好んだ。そのため、日本は外国に油田の利権を持っていない。米英石油会社が石油利権を失っていることは、日本にとっても非常に不利なこととなっている。

米国が覇権を失いつつある中で、対照的に覇権を拡大しつつあるのは、中国、ロシア、ブラジル、インドという、4力国の頭文字をつないで「BRICS」と呼ばれる国々だ。特に、中国とロシアが国際社会における影響力を拡犬している。ブラジルとインドは、中露とは違って国連安保理の常任理事国ではないこともあり、単独ではあまり国際政治に首を突っ込んでいないが、BRICS4力国としては、国連やWTO(世界貿易機関)などの国際社会において、一つの団結した勢力として振る舞い、これまで世界を率いてきた欧米の意思とは食い違う、発展途ヒ国の立場を代弁する主張を表明することが多くなっている。BRICSのうち、ロシアとブラジルは石油ガス産出国であり、中国もすでに見たように世界各地で油田・ガス田開発を手がけ「新セブン・シスターズ」に名を連ねている。BRICSは、資源大国群でもある。

このほか、アラブ諸国を中心とするイスラム世界や、中南米諸国、アフリカ諸国なども、国際社会において、地域として団結した意思を表明することが増えている。私は、BRICSとその他の団結傾向のある途上国を総称して「非米同盟」と呼んでいる(2004年に、この題名の本を文春新書として出した)。かつて冷戦が激しかった1950年代に、イスラム世界や中南米の発展途上国が「非同盟諸国」として団結し、米国ともソ連とも異なる意見を表明する動きが強まったが、非米同盟はその流れをくんでいる。非同盟諸国の政治運動は70年代に下火になり、発展途七国の多くは、欧米型の政治経済システムを取り入れて豊かになろうとする経済主導の国是に転換したが、9・11後に米国が「単独覇権主義」を振りかざして利己的に振る舞う傾向を強めたことを途上国側か嫌気して流れは再び転換し、バラバラだった途上国は、非米同盟と呼べるような、ゆるやかな同盟体へと発展した。

09年末にデンマークのコペンハーゲンで開かれた地球温暖化対策の国連サミット「COP15」では、途上諸国と先進諸国の意見が鋭く対立し、最終的に、途上諸国を代表する中国と、先進諸国を代表する米国との首脳どうしの2者会談で決着が模索された。途上諸国は「中国+G7」という組織を作り、中国を自分たちの代表格とみなした。米中が世界を代表するという、COP15で見られたこの構図は、米中逆転と多極化を象徴している。米国は中国に「米中が協調して世界を切り盛りするG2体制を作ろう」と提案しており、その意味では「米中逆転」ではなく、米国の失墜と中国の台頭による「米中対等化」と呼ぶべき状況もある(多極型の世界を好む中国は、米国が提案した米中G2の構想を拒否した)。

第二次大戦以来、世界は米国の覇権体制だったが、これは正確には「米英同盟」の覇権体制である。本書のテーマである米中逆転とは、米英とBRICSの逆転現象のことだ。そして、ここで重要なのは、従来の米英覇権体制が、米国より英国にとって利益のある体制だったという事実だ。ユーラシア大陸から離れた北米大陸に立地する米国の世界戦略の基本は、世界の各地域にある地域覇権国を束ねる多極型の世界体制によって世界を安定させることで、これは第二次大戦末に作られた国連の安保理常任理事国の体制(米英仏露中)に表れている。対照的に、ユーラシア西端の島国である英国の世界戦略は「地政学」と呼ばれるもので、日本やインドなどユーラシア周縁部にある各国と協調し、中国やロシアといったユーラシ
ア内陸にある大国を封じ込める戦略だ。

金融商品取引法上の説明義務

これらの説明は、顧客の知識、経験、財産の状況、および当該契約を締結する目的に照らして、当該顧客に理解されるために必要な方法および程度によるものでなければならないという規定が新設されました(同法3条2項)。顧客の適合性に配慮した説明が求められ、知識・経験等が乏しい顧客には、より丁寧な説明をしなければ説明義務を果たしたことにならないということです。業者が金融商品販売法上の説明義務に違反したときは、それによって顧客が被った損害を賠償する責任を負います(同法5条)。一般不法行為に基づく責任と比較すると、①業者の責任が無過失責任である、②元本欠損額が顧客の被った損害額と推定される点で、顧客側に有利になっています。なお、プロ投資家に対しては、金融商品販売法上の説明義務および損害賠償責任の規定は適用されません(同法3条7項、同施行令8条)。

金融商品販売法上の説明義務は民事責任を生じさせるだけで、行政監督の直接の根拠にはなりません。そこで、説明義務に違反した業者に対して直接的に監督上の処分を発動できるように、金融商品取引法においても説明義務が規定されました。もっとも、金融商品取引法は、これを説明義務という形式ではなく、金融商品取引契約締結前の書面交付義務という形式で定めています。すなわち、金融商品取引業者等は、金融商品取引契約を締結する前に、顧客に対して、①当該契約の概要、②手数料・報酬等、③相場の変動により損失が生ずるおそれがあること、④③の損失が顧客の預託すべき委託証拠金等の額を上回るおそれがあること等を記載した書面(契約締結前交付書面)を交付(電子的手段による提供も可)しなければなりません(37条の3)。

ここでの金融商品取引契約とは、業者が顧客を相手方とし、または顧客のために2条8項各号に掲げる行為(金融商品取引業を構成する行為)を行うことを内容とする契約(34条参照)をいいます。ただし、プロ投資家を相手方とする場合、および内閣府令で定める場合には、書面交付義務は適用されません。内閣府令では、①過去1年以内に上場有価証券の売買に関するリスク情報を記載した書面を交付している場合、②過去1年以内に有価証券の取引またはデリバティブ取引に係る同種の内容の契約について契約締結前交付書面を交付している場合、③目論見書を交付している場合等があげられています(金商業府令80条)。①と②の違いはリスクの差を考慮したものでしょう。

また、金融商品取引業者の禁止行為として、契約締結前交付書面の交付に際し、リスク情報等について顧客の知識、経験、財産の状況および契約締結の目的に照らして当該顧客に理解されるために必要な方法および程度によって説明をせずに契約を締結する行為があげられました(38条6号、金商業府令117条)。これによって、金融商品販売法の説明義務と同内容の説明義務が、業者の行為規制として実現されたことになります。書面交付義務に違反した場合には、行政処分の対象になるほか、違反行為者と法人が処罰の対象になります(205条、207条)。

適合性の原則とは、顧客の知識、経験、財産の状況等に照らして不適当と認められる勧誘を行ってはならないことをいい、証券取引法43条に業者規制としての根拠規定(違反すると行政処分の対象となる)が置かれていました。説明義務とは別に適合性の原則を勧誘ルールとして定める意味は、投資対象に適合性を有しない顧客に対しては、そもそも勧誘を行ってばならない義務を業者に課すことにあります。最高裁平成17年7月14日判決は、①顧客の知識、経験、財産の状況だけでなく、顧客の意向(投資目的)も適合性の判断基準となること、および②適合性の原則からの著しい逸脱が不法行為法上の損害賠償責任を生じさせることを明らかにしました。①を受けて、金融商品取引法では、「契約を締結する目的」を適合性の判断基準に加えました(40条1号)。したがって金融商品取引業者等の役職員は、いくら財産があっても、安全な運用を望む顧客にリスクの高い商品を勧誘してはならないことになります。

金融商品販売法上の説明義務

社外で注文の勧誘や注文の受託を行う者だけでなく、金融商品取引業者等の計算で自己売買業務(ディーリング業務)を行う内勤の職員も外務員に該当することに注意を要します。外務具は、64条1項各号に掲げる行為に関して、所属金融商品取引業者等を代理する権限があるものとみなされます(64条の3)。すなわち、金融商品7引業者等が外務員に代理権を与えていなかった場合であっても、外務員が顧客と契約を結べぽ顧客と業者との間で契約が締結されたことになり、外務員が顧客から金銭や有価証券を預かれば業者がこれらを預かったことになります。登録を受けていない外務員についても同じです。

ただし、外務具にそのような権限がないことを顧客が知っていた場合には、外務員の行為が業者の行為とみなされることはありません(同条2項)。外務員が業者の代理人というよりは顧客の代理人として行動していた場合にも、64条の3は適用されないと解されています。なお、金融商品取引業者等が64条の3の規定により顧客に対して責任を負わない場合であっても、業者の業務に関して外務員が顧客に与えた損害については、業者が民法715条に基づく使用者責任を負う可能性があります。

有価証券やデリバティブ商品を販売することは目に見えない契約を売ることですから、業者は顧客に商品内容を説明しなければ実際上、販売は不可能でしょう。しかし、証券取引法には、商品内容の説明義務を定めた規定はありませんでした。証券取引法時代の判例は、顧客と証券会社との間で情報量に格差があることを理由に、証券会社の役職員に信義則上の説明義務が生じると判断しています。証券会社の役職員が説明義務に違反して勧誘をしたときは、顧客に対する不法行為が成立することになります。ただし、何をどこまで説明すれば説明義務を果たしたことになるかは、必ずしも明らかではありません。

金融商品販売法は、平成12年の制定当時から、金融商品の販売業者に特別の説明義務を課してきました。すなわち業者は、①相場の変動や発行者・販売業者の信用状況の変化によって、元本欠損が生じるおそれがあること、および②販売対象の権利に行使期間の制限があることや、販売契約に解除期間の制限があることを、金融商品を販売するときまでに顧客に説明しなければなりません(金融商品販売法3条1項)。①の元本欠損とは、当初支払った額よりも得たものの現在価値が低くなることをいい、したがって株式についても元本欠損がありえます。②の権利行使期間の制限とは、たとえばワラントの行使期間の制限のことであり、解除期間の制限とは、たとえば投資信託のクローズド期間のことです。

また、金融商品販売法にいう金融商品には、有価証券やデリバティブ取引(ただし、商品先物は除く)のほか、預金契約や保険契約が含まれます。平成18年の改正で、金融商品販売法上の説明対象に、③相場の変動や発行者・販売業者の信用状況の変化によって、当初元本を上回る損失が生じる礼それがあること、および④取引の仕組みのうちの重要部分が加えられました(同法3条1項)。③は、デリバティブ取引のように、当初出資した金銭を失うだけでなく追加出資を求められる可能性がある取引について、特別の説明を求めるものであり、④は、元本欠損や当初元本以上の損失がなぜ生じるかを理解するための説明を求めるものです。

市場が期待するシナリオ

FRBはケチャップこそ買っていないが、資金供給と引き換えに多岐にわたる資産を購入し続けており、その対応に日銀の幹部らも感心せざるを得なかった。しかし、なりふり構わぬFRBの政策発動を目の当たりにして、日銀の幹部らは一方でひしひしとプレッシャーを感じていた。金融機関がそれほど痛んでいない日本と米国では、金融市場の混乱の度合いが明らかに違う。しかし、日銀の対応が大きく見劣りすれば永田町や市場関係者は黙っていないだろう。しかもFRBの動きは、まだまだ打ち止めとなる気配がない。それどころか、ますます勢いを増しているように見えた。

十二月一日の講演で、バーナンキ議長は「FRBは相当量の米長期国債や政府機関債を市場から買い入れることが可能だ」と発言した。同議長がかつて日本に求めた対策が、また一つFRBによって実行に移される。当時、FRBの政策金利が史上最低に並ぶ一%まで低下し、限りなくゼ口金利に近づいていることもあり、市場では「FRBはかつての日本のような量的緩和政策を導入する」との観測が急速に強まった。日銀がひねり出した量的緩和など異例の政策対応を歓迎し、もっと大胆に、と背中を押したバーナンキ氏。そのバーナンキ氏率いるFRBが今度は日本の経験を下敷きに、より大規模な措置に踏み切る。さながら政策の。エコー(山びこ)現象だ。

FRBの思い切った危機対応策は、さらに「日銀も同様の手を打つのでは」との連想をかき立てる。これが市場や政治の期待という形で、日銀に圧力として跳ね返った。先の見えない危機と、政策の手詰まり。不安が募るなかで、非伝統的な手段が共鳴し合う展開となった。十二月八日、自民党本部。財務金融部会・金融調査会の合同会議に出席した日銀幹部に、同党議員からの要求が相次いだ。「FRBは企業からCPを直接買い取っている。日銀もやるべきでは」「長期国債の買い入れオペをトーンとやって欲しい」CPの買い切りや、国債の大量買い取りをめぐっては、エコノミストの間からも「日銀は追随するだろう」と予想するリポートが続出。日銀は観測を打ち消すのに必死になった。

しかし、つぶさに見れば、市場が期待するシナリオには再検証すべき点も少なくなかった。まずFRBによる量的緩和政策の発動。日銀の長期国債の買い切り額は、○一年に量的緩和政策が始まってから段階的に月四千億円から月一兆二千七百億円に引き上げられ、量的緩和政策が終わった後も、そのままになっていた。FRBもバランスシートを拡人させ、国債や政府機関債を大量購入する構えを見せている点などは、確かに量的緩和政策への移行を予感させた。

だが日銀の目的が世の中に資金を大量供給することにあり、その手段として国債の購入を増やしたのとは違い、FRBは国債や政府機関債を購人すること自体に重点を置いていると、日銀の関係者らはみていた。国債や政府機関債など特定の資産を狙い打ちして大量に買うことで長期金利が下がるよう促し、ローン金利を引き下げて住宅宵要を刺激するのが目的だ。FRBのバランスシート拡大も、その結果にすぎない。この前提に立てば、当座預金にたっぷり資金を積み上げ、その残高を目安に金融政策を運営する日銀型の量的緩和政策が採用される公算は小さい。

株主も、従業員も大切

日本経済は似たような「ピンチはチャンス」を過去に経験している。二度にわたるオイルショックがそうだったし、一九八五年のプラザ合意後のドル安もそうだった。今回のピンチをチャンスに変えられるかどうか、環境要因よりも経営要因が鍵を握るはずである。後ろ向きの発想からは、何も生まれない。フランスのモラリストーアランの言葉が、今こそ大切である。「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する」雇用への対応に、日本企業の基本スタンスが表れる雇用情勢の厳しさを世界各地で伝える記事が新聞によく載るようになった。たしかに、激しい景気の落ち込みである。一〇〇年に一度はおおげさだと思うが、第一次オイルショックで日本沈没と騒がれて以来の景気悪化であろう。しかも、悪化のスピードは前例がないようなスピードである。

その景気悪化の状況の中で、日本企業は雇用問題にどう対応しようとするのか。ここで、経営の基本的なスタンスが試されている。それは、株主と従業員との間のバランスのとり方についての基本的スタンスである。株主への対応とは、配当の額の決定である。従業員への対応とは、人件費総額の決定である。そして人件費総額は、雇用量と賃金水準で決まってくる。両者への対応を完全に二者択一で行うことはふつうはないだろう。バランスの取り方という問題になる。優先順位のつけ方と言ってもいい。株主への配当を減らすことと、人件費総額の減少を進めることを、どの程度にバランスするか、ということである。

リーマンショック以降の経済危機でアメリカが大きなダメージを受ける前までは、アメリカ型経営に日本の風潮の表層流は流れていたように思う。企業は誰のものか、という点で言えば、株主重視と言わなければマスコミで非難されるような風潮があった。しかし、いったん景気が前例のないスピードで悪化していく中、企業が雇用面でまずできる対策をということで派遣社員のカットを始めると、「派遣切り」と言ってマスコミはまた非難する。たしかにこのところは雇用削減に関する報道が多いが、二〇〇九年三月期の決算では決算処理としての配当の問題も登場する。

従業員を大切にしたいという思いを持った経営者が日本企業にはかなり多いと私は観察しているが、それでも株式会社として株主への配当をも気にしなければならない立場に同じ経営者がいる。さて、ギリギリの選択を迫られたら、日本企業の多くはどうするのか。通常時には、「株主も、従業員も大切」と言っていた経営者も、いざこれだけ厳しい状況になり、トヨタ自動車やソニーですら営業赤字というような環境になってくると、どちらにもいい顔をし続けるわけにはいかないのである。この三月期の対応は、「企業は誰のものか」というコーポレートガバナンスの基本的課題に対して、日本企業がどのような答えを出すのか、そのリトマス試験紙になるであろう。

それにしても米国企業と日本企業の対応はなるほど違うな、と思わせる二つの記事が、偶然にも同じ日の日本経済新聞に載っていた。二〇〇九年一月一〇日の日本経済新聞一面トップの記事は、アメリカでの雇用収縮であった。トップ見出しが「米雇用 戦後最悪の減少」とある。二〇〇八年一年間で、雇用が二五八万人減ったという。失業率は二〇〇八年ニ月現在が七・四%。二〇〇八年一一月の日本の失業率が三・九%であるから、日本よりもかなり深刻である。しかも、一年前のアメリカの失業率は五%程度であったから、たった一年で二%以上も失業率が急増した。日本の失業率は一年前で三・八%、この一年でほとんど変わっていない。アメリカは、景気が悪くなるとすぐに雇用に手を付けるのが企業行動の基本なのである。

マルクス主義の何たるかも十分に理解できていない

ブントが組織の全力を注いで、そして解体した六〇年安保に森田は参加しなかった。しかしそのときのブントには、みるべき思想も理論ももうなくなっていたのである。ひたすら過激な大衆行動によってみずからの存在証明をしてみせるのだけが唯一残された途であった。それは、あえていいきれば、森田のたどったのと同じ行程であった。というより、森田ならばその無類の現実感覚によってより巧みにやったかもしれないことを、ブントは、浪漫の風に吹かれて、より稚拙にやっただけというべきかもしれない。そのおかげでブントの解体も早まったのであるから、結果はよかったのであるが、ブント中央が□をひらけば国会突入や首相官邸突入を叫んでいるのが私には愚かにみえた。もちろん、ブントの存在意義が突入主義を実践するという漫画的の一点に縮退していたのは明らかであったから、私とて突入の方針を支持することもあった。しかし、場所かまわず時期かまわずの突入主義が阿呆らしく思われたことも少くなかったのである。

とくに五九年一二月一〇日、六〇年六月一八日、諸情勢がまったく不可能と教えているのに、なぜブントは突入を叫んだのか、私には異常心理の臭いすら感じられた。そんなとき、私はひそかに現実主義の系譜を探していたように思う。後になって知ったのだが、その系譜を代表すべき森田は、いわば幻像だけを残したまま、ブントから排除されていたわけである。実のところ、私は当時の森田を知らないし、後年の彼についても私の知っているのは限られた側面だけである。したがって、私のいう現実主義者としての森田は仮説的の存在なのだといってもよい。つまり、理想主義者の代表として島がいるのならばその逆もいなければ収まりがつかないということである。この点で、ブントは平衡を失していたといわなければならない。平衡喪失のゆえに独得の組織たりえていたのであるから、それはそれでよいのだが、せめて自分らの過去がそうしたものにすぎなかったのだということを元同盟員にはわかってもらいたいと思う。もちろん、私の現に付合っている人々の多くはそれを理解しているのだが、されどわれらが日々といったような自己弁護にひたるものも少くないのである。

そういう安易な自己正当化を許さないもの、それが森田という存在である。アジやオルグにおける技能のことをいうのではない。現実というものにあそこまで取組んだ人間に特有の、現実に教えられようとする素直な態度が貴重だといいたいのである。次のような森田の平凡な発言をあっさりと承認できるかどうか、それが平衡回復の第一歩である。「思い起こせば、私の青少年期は餓えと欠乏の時代であった。敗戦直後、われわれは、食糧に飢え、人の善意に飢え、思想に飢えていた。私がマルクスの思想に出会ったのは、こういうときであった。飢えすぎていた私は、この思想が私の飢えや渇きを満たしてくれるものと考え、その思想の信者である共産党に飛び込んだ。そして数年間の血のにじむような生活を通じて得たものは、この思想は人類の真の幸福には役立たないという結論であった。いま自分の過去を振り返って悔いる気持ちはないけれど、率直にいって、当時の私はいささか軽率だったのである。もっとじっくりと冷静に理性的に対応すべきであった。

友人の懲憑に乗って、マルクス主義の何たるかも十分に理解しないまま、運動の世界に飛び込んだことは、学問研究をめざす学徒としては、少し思慮不足であった。あくまで学問、知識を通じて、堅実な方法で長期的に社会に貢献する道を選ぶべきであった。しかし、これも私の運命だったのであろう」(『人生、七転び八起き』)。私の場合は、「友人の懲憑に乗った」わけではなく、自分から飛びこんだのであるが、森田の反省の弁はそのとおりと思う。それを「悔いる」気持もないし、それが「運命」だったとも思うが、自分のやったことは「軽率」な馬鹿騒ぎだったと思う。ただし、ひとつだけ森田のいうことに不満がある。軽率な馬鹿騒ぎの要素はこれからも運命のようにとりついて離れないだろうと私は覚悟している。それを匡正するに足る「理性」も自分のうちにはないだろうと覚悟している。その意味で浪漫は、あるいは理想は、それが私の宿痢なのかもしれないが、ずっと私のうちに巣喰うと思う。

つまり私の人生にたいする見晴らしにおいては、少し大仰にいうと、理想主義と現実主義というふたつの急峻のあいだをはしる尾根のうえを、いかに平衡を保って渡り切るかという問題が重要なのである。この見方に立つと、われらの公式かつ顕在的の指導者であった島と、非公式かつ潜在的の指導者であった森田のふたりは、ブントという名の小さな聖家族のかかえた二律背反を象徴する双頭の鷲だということになるわけである。むろん、左翼であったことそれ自体が、右翼を欠いている以上、すでに平衡を失した状態である。だから、あの聖家族は実に愚かしい集団なのであった。しかし、そこにおいてすら、人生の物語および集団の歴史における平衡感覚の問題が、たとえ歪められたかたちにおいてであるにせよ、胚胎していたといわざるをえないのである。

コミックマーケットの特徴

「ビックリマン」の場合、〈世界〉は「ビックリマン神話の体系」に相当し、〈趣向〉は個々の子供が擬似的に創作する〈物語〉に当たる。江戸時代の歌舞伎と異なるのは〈世界〉の枠組みの中で〈物語〉をつくるのが歌舞伎の場合は送り手なのに対し、「ビックリマン」では消費者である点だ。〈世界〉を送り手と受け手が共有している点は変わらないが、〈物語消費〉では〈趣向〉の選択権は原則として消費者にゆだねられる。自然発生的な〈物語消費〉であったといえる、コミックマーケットにおける〈やおい同人誌〉は『キャプテン翼』や『聖闘士星矢』といった人気まんがを〈世界〉として読者が共有することで、各自が自らの〈趣向〉としての物語を自作のコミックによって創出したものである。無数の趣向が乱立した時、オリジナル=原作は趣向の中に埋没してしまうことがわかる。最近では商業メディアの作品を同人誌界で〈世界〉化させ、〈趣向〉としてのパロディ作品が多数出ることで市場の拡大を図ろうとする巧妙なマーケティング手段がアニメやゲームソフトの分野のセールスで試みられつつある。

これら消費者にとって重要なのは自ら〈物語〉ることによってより強く物語の〈世界〉とアクセスし、しかもその〈世界〉が同人誌の仲間やコミックマーケットのイベントの参加者によって共有されていることの実感である。「星矢」なり「サムライトルーパー」なりの世界の枠組みを知らない人間にとってはこれら同人誌コミックの意味するところが理解できない。すなわち、〈世界〉-〈趣向〉の関係性の中で〈物語〉ることで、同人誌の描き手たちは「世界を共有する共同体」の一員であることが確認できるわけだ。近代を通じて分離してきた〈共同体〉と〈物語〉が再度、ここでは統合しているといえよう。無論それは仮そめのものにすぎないし、そんなことは当事者たちが熟知していることだ。しかし、〈物語〉の総和によって支えられる〈世界〉との一体感が〈物語消費〉によって一時的に得られることだけは確かである。「星矢の世界」は、ムラ社会の物語、あるいは戦前の天皇家をめぐる〈大きな物語〉の擬似的な代償である。パッケージされた閉じた〈物語ソフト〉は商品としての純度は高いが消費者を〈世界〉あるいは擬似的な〈世界〉に回収する力はない。

これに対し、無数の〈物語〉が生成する場である〈世界〉は、これを共有する他の消費者とワンセットになり、擬似的な世界を出現させるわけだ。とすれば〈物語消費〉を誘発させる側、すなわち〈物語マーケティング〉を仕掛ける側に必要なのは消費者を回収する場であり、同時に消費者が〈物語〉る場である〈世界〉を準備することが前提となってこよう。ゲームソフトやアニメーションの創作ではシナリオつまり具体的な〈物語ソフト〉の前段階として〈世界観〉をつくるが、この〈世界観〉は歌舞伎の〈世界〉とほぼ同じ意味で使われている。無論、偶然の一致だが象徴的な符合ではある。〈世界〉が定まれば〈趣向〉は無数に出てくるように〈物語ソフト〉ビジネスにとって重要なのは〈世界〉作りである。〈物語マーケティング〉では消費者が原則として物語作者であるから、映画やアニメのような単一の逸悦不可能なストーリーを準備する必要はない。コミックや小説など通常の〈物語ソフト〉ビジネスでは物語作者は送り手であるが〈物語消費〉はそれを擬似的に受け手に代行させる。ただし擬似的な物語作者である受け手は全くのフリーハンドで物語作りを行うのではない。

多くの場合、消費者には全く無の状態から〈物語〉を創出する能力はない。また仮にそれが可能な消費者がいたとしても、企業が望む方向とは異なる〈物語〉を語り出されてはマーケティングにならない。そのためには〈世界〉が統一されたルールや価値体系によって緻密に構成されている必要がある。こういった〈世界〉作りこそが〈物語マーケティング〉において企業=送り手が最も苦心すべき作業であるにもかかわらず、〈物語マーケティング〉と称して行われるものの多くは中吊り広告に小説を連載する、CMを使って連続ドラマを見せる、といった〈物語〉をただ単に分節化し消費者に示す形式のものが多い。だが企業が〈世界〉作りを行わなくても受け手の側は、反復される一連の〈物語〉から逆算してその背後にある〈世界〉を勝手に想像=創造することが多々ある。歌舞伎における〈世界〉が受け手に認知されていくプロセスにおいて、送り手が最初からパーフェクトな〈世界〉の枠組みを用意したのではなく、いくつかの具体的な〈物語〉を受けとめていく過程でむしろ受け手の側に〈世界〉が生成し、送り手はむしろそれを整理し、その結果として送り手と受け手の合意事項として両者に承認されていったというのが正しい。〈物語〉は本来、共同体という〈世界〉に帰属するものであるから、受け手は〈物語ソフト〉が共同体から切り離されていても、あるいは送り手が〈世界〉を用意していなくても本能的に〈世界〉をそこに求める。

「星矢」「翼」などは、送り手が用意しなかった〈世界〉を受け手が勝手につくり、その結果、〈世界〉が送り手(この場合は集英社や原作のまんが家)の管理下から離れ暴走した例である。だからこそ〈世界〉作りとその管理は送り手にとって重要な作業である。特に企業が〈世界〉を準備してもそれは受け手の物語行為を通じて常に肥大していくのであり、しかもそれを当初示された〈世界〉の枠組みと矛盾しなければそれを許容し吸収することがむしろ必要である。こういった〈物語の管理者〉をテーブルトーク型のロールプレイングゲーム(RPG)の用語を借用してゲームマスターと呼びたい。RPGは多くの人がパソコンやファミコンのビデオゲームの形式だと理解しているがこれは必ずしも正しくない。RPGはいわばごっこ遊びの変形であり、J・R・R・トールキンの古典的ファンタジー小説『指輪物語』の熱心なマニアたちが始めた対話形式のゲームである。『指輪物語』の小説から逆算した物語〈世界〉の中でマニアたちがごっこ遊びをする。もちろんこれはいい年をした大人が始めたものなので実際に戦士と魔物の戦いをチャンバラごっこ的に演じるわけではない。もっぱら対話に依存する。それ故、RPGがゲームソフトの領域に進出した今日ではこの原RPGはテーブルトーク型と呼ばれる。

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