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短期の有期雇用の促進法

その後の無期契約期間通算基準に該当する有期労働契約の契約期間(2以上の有期労働契約がある場合は、その全ての契約期間を通算した期間)に2分の1を乗じて得た期間(6月を超えるときは6月とし、1月に満たない端数を生じたときはこれを1月として計算した期間とする。)未満である場合。この省令による空白期間があっても短時間で通算される基準は、煩雑な規定となっていますので、図示すると図表のようになります。6ヵ月以上の空白期間がある場合には、当該空白期間前に終了している全ての有期労働契約の契約期間は、通算契約期間に算入されません(クーリングされますので。)通算契約期間の算定に当たり、基準省令第1条第1項で定める基準に照らし連続すると認められるかどうかの確認が必要となるのは、労働者が無期転換の申込みをしようとする日から遡って直近の6ヵ月以上の空白期間があれば、その後の有期労働契約についてとなります。そのため、通達では次のように述べられています。

「最初の雇入れの日後最初に到来する無契約期間(空白期間)から順次、無契約期間とその前にある有期労働契約の契約期間の長さを比較し、当該契約期間に2分の1を乗じて得た期間よりも無契約期間の方が短い場合には、無契約期間の前後の有期労働契約が「連続すると認められるもの」となり、前後の有期労働契約の契約期間を通算すること。また、「基準省令第1条第1項各号の『2分の1を乗じて得た期間』の計算において、1ヵ月に満たない端数を生じた場合は、―力月単位に切り上げて計算した期間とすること。『2分の1を乗じて得た期間』が6ヵ月を超える場合は、無契約期間が6ヵ月未満のときに前後の有期労働契約が連続するものとして取り扱うこと。」したがって、この期間が6ヵ月以上のときは連続しないことになります。

なお、この場合、「通算の対象とするそれぞれの有期労働契約の契約期間に1月に満たない端数がある場合には、これらの端数の合算については、30日をもって1月とすること。」(通達)と定められています。いずれにしても、これは、「月」による計算ですから、民法第143条の「暦による期間の計算」の規定が適用となります。例えば、4月5日から5月15日までの有期労働契約を結んだ場合、―力月の期間とは、起算日に応答する日である5月5日の前日の5月4日となりますから、端数はい11日間となり、結局この契約期間は1ヵ月1111日との計算になります。5年を超える契約更新はしないとする特約は有効か困更新を最長5年までに限定しようとするリアクション今回の労契法改正により、5年を超える有期労働契約をした場合に、期間の定めのない契約への無期雇用転換申込権を労働者に付与して、その申込みを「使用者は承諾したものとみなす」とする使用者への強制雇用化は、わが国の契約自由への新しい大きな規制です。

したがって、各方面からこの改正そのものについて批判があります。例えば、労契法は、「労働契約に関する合意原則を定めたものである旨宣言する1条は、そのまま維持されている。同法18条が、(少なくとも実質的には)1条に規定される合意原則と調和しがたいものであることは明らかであり、強制雇用は、同法の法律としての性格に変容をきたす変更であるところ、その点をも明示しか改正を提案し、立法府においてそのことを討議し、広く周知する必要があるのではなかろうか。」(渡漫岳「遊筆・最近の労働立法に思うこと」労判1055号)とか、「先の通常国会で、有期労働契約に関する労働契約法の規定の改定がなされた。本来ならば『改正』と書きたいところであるが、そうならないところが問題である。

いずれにしても今回の法改定は、より短期の有期雇用の促進法であり、有期労働者の雇用を今以上に不安定化させることが危惧される。改正と評価できないゆえんである。」(和田肇「遊筆・労働契約法改定は有期雇用不安定化法である」労判1054号)と指摘されています。そして、同民は、今日の大学における国の競争的資金によるプロジェクトの有期雇用による研究者がかなりいること、こうしたプロジェクトは3~5年であるが、それを超えて雇用されてきた若手研究者の雇用が、今回の法改正によって不安定化してしまうこと。大学としては、安定財源の確保が困難なため、「更新があっても全体として5年以下に雇用を限定してしまう可能性がある。

官方に対する市民感覚

かつての地下としての現代アートの営みを見せてもらった身としては、劇的な変化になんらかの解釈を与えざるを得ない。繰り返し述べるが、中国の現実を見つめる上では常々仮説の設定と修正が必要である。現代アートへの問いかけは、要は中国においては政府の存在こそが圧倒的で、官方から離れた辺縁の営みなど、やがては政府に歩み寄らざるを得ない、脆く侈いものでしかないのか、との仮説である。その仮説をもって現代アートを離れ、次の旅の地点へと移る。05年冬から、ぼくは海淀区の清華大学に近い合子珈琲館というカフェにたびたび足を運んだ。清華大学は北京大学と並ぶ名門大学であり、北京市北部のかなり辺鄙な場所に位置しつつも周辺にはグーグルなどIT企業が集中する。

付近の五道口は学生街として知られ、Tシャツやアクセサリーなどの露店を、学生や外国人、それに子供連れの家族が取り囲んで大変混雑する。清華大学周辺はアメ横と表参道を足して2で割ったような街だが、他方で学校の周辺を荷馬車が走り、出稼ぎ労働者向けの農家を用いた宿泊施設があったりと、郊外の雰囲気も強く感じる。金子珈琲館はそんな雑然とした一角にあり、打ちっぱなしのコンクリートの地面に古びた木のテーブル・椅子を並べて、野性味を帯びつつもシックな雰囲気をかもす。05年当時、ここで目にする何もかもが中国では目新しかった。本棚には客が自由に手にすることができる本が並ぶが、これでもかと言わんばかりにマイナーな本ばかりであった。アフリカ経済の研究書だったり、地方の出版社による無名だが内容の濃い小説であったり、スペイン語で書かれた厚手の古書だったり。発禁扱いを受けた本もあった。

厚手のボール紙でしつらえた洒落た感じの黒表紙のメモ帳があって、客が寄せ書きをする。日本のラブホテルでも見かけるやつだが、大学院生が何のために研究するかを自問自答したり、高学歴ゆえに結婚できない女性の悩みが綴られたり、それに対して「悩むよりも相手を探すべく行動すべきだ」と激励するサラリーマンの記述があったりと、1つの作品のような読み応えがあった。壁にいろんなイベントのポスターが貼ってあった。貧しい農村に学校を作るボランティアの募集、エイズ差別をなくす集会の告知、前衛的な現代劇、中国ではほとんど普及していないジャズの演奏会など、ここでしか目にすることのできないような宣伝ばかりである。合子珈琲館自体もたびたびNGOの集会場所になっており、野生動物保護や環境保護など、メディアではあまり伝えられない活動の拠点の1つでもある。

そして、この店で最も有名なのが映画である。今も定期的に上映会を行っているが、05年頃は週2回、無料の上映会が開かれ、客であれば無料で鑑賞できた。上映されるのは中国の映画館で見られないものばかりで、ゲイをテーマにした際どい作品や海外のインディペンデント映画、それに学生による実験作もある。ぼくが最初にここで見たのは《愛情を北京で探せますか?》という実験作で、北京を徘徊して、街で見かけた老人やカップル、身体障害者、出稼ぎ労働者、風俗嬢たちにひたすらタイトルの質問をぶつける作品だった。中国の劇場で公開される類の映画とは明らかに異質だった。同店オーナーの肖然は1976年貴州省出身。大学入学時は新聞記者志望だったが、「大メディアではぼくたちの日常感覚で見られるものがあまりにも見えない」と、当時中国の代表的書店だった官営の新華書店で扱わない本の収集と読書に熱心になる。

卒業後いったん地元政府に就職するものの、すぐにやめ、貴陽市で古書店の経営を始めた。発行部数の少ないマイナー本を手広くそろえることを売りにして、店は次第に繁盛、市内周辺に7つの支店を持つチェーン店に育て上げ、その成功を受けて01年に北京で金子珈琲館を開いた。彼のような大メディアと一線を画した活動を何と呼ぶべきか。ぼくはそれまで現代アートと接してきた経緯から辺縁、地下などと呼んだが、彼は特に反政府のニュアンスを持つ地下と呼ばれることを嫌った。彼は自分の活動を地下や辺縁ではなく、小衆と位置づけている。「ぼくの周辺、特に同年代の文化関係者や編集者、それにカフェの経営者たちの間で、小衆という発想が広まっています。ぼくたちの生活感覚は大衆的なテレビ番組などではけっして得られない。小衆の中にしか現れないと考えています」。

東西交易の歴史は、キツネとタヌキの化かし合い

ポルトガル人が広東の料理人の店でローストタックを買った。(中略)かついで自分の船まで運んで帰り、(中略)ナイフを入れたとき、それはただの皮だけで、棒と一緒に巧妙に詰め込まれた紙の上に皮がのせてあり、家鴨の体らしく見せかけてあっただけということがわかった。この話、最近の中国での出来事ではない。17世紀のはじめに、あるヨーロッパ人が残した記述である。「紙詰めタック」だなんて、もしやあの「ダンボール入り肉まん」のルーツか? と連想させるような逸話である。この話は、百数十年後の18世紀に書かれた『茶の博物誌』という本に引用されている。同書は当時のヨーロッパ、ことにイギリスの人々を魅了していた「中国の茶」について丹念に記し激賞された一冊である。

著者でイギリス人医師のジョン・コークレイ・レットサムは同書の中に、「中国の路上で盲人から八重の紅白の花が付いた珍しい椿を買ったら、枝に花を付けただけのニセモノだった」という、別の人物が書き残した逸話もあわせて引用し、「中国人は人をだます専門家」であることの説明としている。レットサムの著作を紹介したついでに、ヨーロッパと中国の間での茶の交易をめぐっての、当時のヨーロッパ人の中国人観を見てみよう。17世紀、中国からヨーロッパベ茶が輸出されたときに初めて、イギリス人は茶というものと出会った。はじめ上流階級だけに流行した喫茶の習慣はほどなく庶民にまで広まり、やがてイギリス人はお茶なしには生活できなくなり、茶の輸入量が伸び続けた。

当時は、大規模な茶の産地はほぼ中国大陸に限られていて、イギリスは清に頭を下げて茶を売ってもらうほかはなく、対中貿易赤字は膨らむ一方であった。やがてイギリスが、茶の代金としての銀の用立てに窮し、代わりにインド産のアヘンを清へ輸出したことが、1840年のアヘン戦争を引き起こす端緒となったのである。たかがお茶のために戦争までするなんて、とあきれるかもしれないが、現在の世界で石油をめぐって戦争が頻発しているのと原理は同じである。ともかく、17-19世紀にかけての百数十年間、イギリス東インド会社にとって、中国での茶の調達は最重要課題であった。そのため、古いヨーロッパの記録には、中国との茶の取引にはいかに忌々しいことが多いか、中国人がいかに校猪であるか、が笑ってしまうほど生々しく書き残されている。

「茶箱の底には石が詰められ上げ底されていた」「上級茶のはずが、カビだらけの下級茶だった」「茶の香りを偽装するため、ギンモクセイの花が大量に混ぜられていた」等々。ただ。これらすべてが必ずしも中国人の「ズル」のせいとばかりともいえない。何しろ真空包装も空調も航空便もない、大海に揺られる蒸し暑い船底に茶箱が詰め込まれて運ばれた時代のことなのだから。しかし、総じて、ヨーロッパの人々の中国人への不信感は相当なものであった。さらにレッドサムは、当時イギリスで国論を二分するほど激しい議論の対象となっていた。茶の心身への影響(茶は健康にいいのか、悪いのか)を論じるにあたり、茶を常飲する中国人の心身の特徴からそれを類推しようとも試みた。いわく、中国人は、一般に、体力は中くらいの民族で、(中略)臆病でずるく、(中略)きわめて偽善的で利己的であり、女性的で復讐心が強く、不正直であるとされている。何というあけすけな言いようであろうか。当時の西洋人の東洋人に対する偏見を感じはするものの、頷けなくもない。

もっとも、そんな中国人の茶商とイギリス東インド会社とが組んで、イギリス向け輸出紅茶の産地偽装を行なったこともあるのだから、英中はどっちもどっち。立派に(?)キツネとタヌキの化かし合いだ勺たというわけである。中国人の正体を知らなかったのは日本人だけ? レットザムの著述を含む、多くの東西交易の記録から気づかされることが2点ある。第一は、中国大陸での食に関する偽装は、少なくとも数百年、ひょっとしたら何千年にもわたる伝統に裏打ちされた筋金入りのお家芸だということだ。「毒ギョーザ事件」以後、日本のメディアや識者が、中国で多発する毒食事件の背景を解く論の中でよくいわれたのが、「郡小平が始めた改革開放政策による拝金主義の蔓延」という分析であった。

大国のエゴイズム

「個人主義」と「集団主義」は、それぞれ人間社会の基本的な構造である。動物の社会にあっても、群れを形成するものと単独行動するものかあり、それぞれに合理性かある。しかし、集団主義というと、弱い者が集まり、みなで渡れば怖くない、というように、なんとなくやましさを感じるのも事実だ。外国で、一人だと静かで行儀かよいのに、集団になると途端にかやかや傍若無人になる姿が想起され、嫌われる。一方、個人主義というと、自己の責任において毅然たる行動をとり、白馬の騎士のようなイメージで、なんとなく好感が持てそうである。少なくとも他人に頼ることなく、良くても悪くても結果を自分で受けとめるのだから潔い、とされがちである。

アメリカ人ツアー客も、ヨーロでハでは日本人や中国人のそれと同様、鄭楡されることも少なくないようだが、社会の基本的構造としては、アメリカはヨーロッパ諸国と同様、「個人主義」の国である。そして、日本人は、「集団主義」だ。同じ人間なのに、どうして集団主義と個人主義という違いか出るのだろうか。DNAの中にその差があるだろうか、未だそれは解明されていない。しかし、環境要因、ことに教育のあり方が大きな影響を与えていることは確実だ。アメリカで育った日本人かアメリカ人のように振る舞うことか、この事実を物語っている。家庭では日本人としてしつけをしているのに、アメリカで育つとアメリカ的になるということは、主としてアメリカの教育の影響を受けているからだと思われる。

アメリカの学校で教育を受けなから、友だちを見ならううちに自然にアメリカ流を身につげるのだ。では、欧米の教育とはどういうものかというと、数学、文学、自然科学、芸術などすべてにそれなりの知識と能力を持つことを目指すより、個人個人の才能や能力を見いたし、才能があると認められたところを重点的に育てる傾向か強い。わたしの娘はフランスの幼稚園に通っていたか、あるとき衝撃的なシーンに出くわした。遊びの時間になると、日本ではお絵描きしましょうとか、運動しましょう、といって園児がいっしょに行動するのか常だが、フランスでは、個人個人、別々の遊びをする。絵を描く子、ボール遊びをする子、積み木遊びをする子、てんでにパラパラである。

それはそれでいい。驚いたのは、娘がほかの子と同じような遊びをしようとすると、先生にしがられたことである。自分で自分の遊びを見つげなさい、とたしなめられたのだ。他人と同じことをしてはいけないのである。日本の幼稚園に通っていた娘は当惑して、何をしてよいのかわからず、おどおどしてしまった。日本ならば、みなの輪の中に入ればよいし、そこで仲よくすることか「良いこと」なのだから。ところが、それがここでは「悪いこと」。まったく正反対なのだ。自分は自分なりの遊び方を自分で考え、他人にかかおりなく、一人で遊びなさい、と徹底的に教えこまれる。こうして、個人主義という考えか小さい頃から備わってくるのだ。西欧においては教育を中心として社会全体か個人主義を育てているわげである。日本のように、みんな仲よくいっしょにやりましょう、という「和の精神」とは根本的に対立している。

個人主義を追求すれば個人がパラパラとなり、集団として力を発揮することかできない。集団主義を追求すれば個人の才能は集団の中に埋もれ、能力を発揮することかできない。個人主義、集団主義はそれぞれ良い点、亜ごい点を持ち、宿命的に対立するものである。個人レベルに注目した個人主義は総じて肯定的に評価されるか、国レベルとなると、そうはいかない。アメリカか唯一の超大国となっている現在では、ともすればアメリカの独善を導き出しかねない。地球温暖化対策について、ロシアを含めた先進国が、気候変動枠組条約の京都議定書のもとで、二〇〇八年から二〇一二年まで二酸化炭素排出量を減らす努力を続けているのはよく知られているだろう。

体外受精の実施状況に関する統計

このように体外受精、なかんずく顕微授精によって、夫の精子による妊娠がかなりの程度可能になったことは、広く実施されてきたAIDを見直すきっかけとなった。技術的に夫の精子による妊娠が可能なのに、提供された精子を使うのは安易だというのである。しかし体外受精は、AIDに比較して排卵誘発剤の投与、卵の採取などによって女性や生まれてくる子どもの身体に負担がかかる。成功率も低い。そして不妊の原因はあくまでも男性の側にあるのに、生殖技術の対象となるのは、健康な不妊ではない女性なのである。このようにいまだ体外受精が女性や生まれてくる子どもへの副作用の有無が明確ではない現状では、AIDによって子どもをもつことができるのに、あえて顕微授精まで行なって体外受精を利用することの倫理性が問われる必要があろう。それとも夫婦の選択の問題なのだろうか。不妊治療の目的は、育てる子どもをもつことなのか、遺伝的なつながりのある子どもをもつことなのかが、あらためて問われているのである。

生殖技術の対象となるのは主として女性の身体である。とくに体外受精では、女性に排卵誘発剤を投与して一回に数個から十数個の卵を採取する。採卵は、かってはお腹に針を刺し腹腔鏡で見ながら行なう経腹法が採用されていた。これは全身麻酔をかけての大がかりな外科的な手術で、出血などの危険性が高かった。現在では、女性にとってはるかに安全な部分麻酔で行なえる経腔法で行なわれている。しかしいわゆるホルモン剤である排卵誘発剤などの投与が、女性や生まれてくる子どもにどのような副作用をもたらすかは、この技術が実施されるようになってから二〇年に満たない現在、明確な答えは出ていない。現に一九九五年には、体外受精のために排卵誘発剤を使用した結果脳血栓になり半身まひになったとして、国と治療にあたった病院を相手として損害賠償を求める訴訟が提起されている(『朝日新聞』一九九五年九月二五日付)。

子どもの福祉という点からは、体外受精によって生まれてくる子どもが、心身に障害をもつことぱないかか、この技術を評価するにあたっては極めて重要なことである。体外受精技術が人間の不妊治療法として研究されはじめた頃、この技術に対する反対は、奇形など異常な子どもが生まれる可能性が高いということであった。技術的に未熟な初期の段階で、少なくとも何人かの奇形や知恵遅れの子どもが生まれてくることが予想されるから、このことだけからもこの研究を続けるのは不道徳であると、強力な反対論が展開されたのである。これに対して、すでに行なわれていた動物の体外受精では異常の発生率は自然の生殖と変わらないから、人間についても安全な技術と想定できると反論がなされたが、受け容れられなかった。

生殖については、種によって大きく異なっていて、人間以外の動物での実験結果がそのまま人間にあてはまるとは限らないという理由であった。そこで人間の体外受精という未知の分野に挑戦する医師や研究者たちがもっとも怖れたのは、異常をもった子どもが生まれないかということであった。幸いなことに、イギリスで出生した体外受精第一号児は正常だった。その後十数万人の体外受精児が生まれてきているが、いずれの調査によっても、出生児への異常の発現率は、自然の発生頻度の範囲内であり、異常も特定の臓器に片寄ってはいない。体外受精で、卵、精子そして受精卵に対して人為的な操作を行なうにもかかわらず、出生児の異常の発現率が自然の生殖に比較して高くならないのは、欠陥のある受精卵が形成されたとき、とくにそれが染色体異常のように出生児に異常がでるような場合には、受精卵は子宮に着床できないか、着床しても流産してしまうからである。自然に挑戦するかのごとき体外受精。だがその安全性は母体の生理という自然の摂理に守られていることを物語っている。

体外受精の実施状況に関する統計は、国際的にも日本国内でも、かなり整備されている。一九九三年九月に、京都で開催された第八回体外受精学会で明らかにされたところによると、一九九一年一年間で、世界四六か国の七六〇の施設で、一三万八〇〇〇回の採卵と一一万六〇〇〇回の移植が行なわれ、妊娠回数は二万六〇〇〇回、そして一万九三一四人が少なくとも一人の子どもを産んでいる。多胎妊娠が二〇パーセント以上を占めているので、一年間で二万人を超える体外受精児が出生していることになる。前回の調査(一九八九年の実績に基づく調査)に比較して、採卵回数は五五パーセント、妊娠回数は七〇パーセント、体外受精児を産んだ女性の数は九〇パーセント増加したことになる。一九八九年の実績に基づく調査では、出生児数は約一万人だったから二倍に増えたことになる。

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